緩和ケア(ホスピス)ということばを初めて聞いたのは、2005年 父が末期のガンで
病院での治療では、手の施しようがなくなった時に
病院のドクターよりホスピスに移ることを勧められました。。
その当時
ホスピスに対する知識がないなか、他に選択肢もなく
ただ、病院にいる父は熱でうなされ会話もできず辛そうな状態で見ているのも辛かったので
少しでもその状態が改善されるのであればと、ホスピスに移ることを選択しました。
ただ、その時はホスピス=死を待つ為の施設?病院から見放された患者さんが行くところ?
というイメージしかありませんでした
まず、病院を移ることを父になんて説明すれば良いのか?
本当に今より状態が良くなるのか?
保険がきかない
ホスピスの差額ベッド代を支払っていけるのか?
父はあとどれくらい生きているのか?
不安なことがどんどんおしよせてきました。
まず、ホスピスには、患者自身に話をしないで入院することはできず
患者をつれて面談にいかなくてはいけません・・
しかし、父は病院で話しをすることもできない寝たきり状態でいたので
私と母とで面談に行きました。
その時に、ホスピスに入院希望されている患者さんが大勢いることを知りました
でも、幸いなことにタイミングも良く
多分、父の状態が悪かったので
すぐに入院できることになりました。
入院してからは驚くことばかりでした
私のホスピスに対するイメージは一変し
結果、父の最期をホスピスで見とることができてとても良かったと思っています
ホスピスに移れば苦痛の緩和を中心に治療が行われます。
一般病院だと、病院を維持することが目的ではっきり言って無駄な検査をしますが、ホスピスでは無駄な検査はしません。
一般病院にいるより確実に安らかな死を迎えることができると思います。
まさに、父は安らかな死でした

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病院での治療では、手の施しようがなくなった時に
病院のドクターよりホスピスに移ることを勧められました。。

その当時
ホスピスに対する知識がないなか、他に選択肢もなく
ただ、病院にいる父は熱でうなされ会話もできず辛そうな状態で見ているのも辛かったので
少しでもその状態が改善されるのであればと、ホスピスに移ることを選択しました。
ただ、その時はホスピス=死を待つ為の施設?病院から見放された患者さんが行くところ?
というイメージしかありませんでした

まず、病院を移ることを父になんて説明すれば良いのか?
本当に今より状態が良くなるのか?
保険がきかない
ホスピスの差額ベッド代を支払っていけるのか?
父はあとどれくらい生きているのか?
不安なことがどんどんおしよせてきました。
まず、ホスピスには、患者自身に話をしないで入院することはできず
患者をつれて面談にいかなくてはいけません・・
しかし、父は病院で話しをすることもできない寝たきり状態でいたので
私と母とで面談に行きました。
その時に、ホスピスに入院希望されている患者さんが大勢いることを知りました

でも、幸いなことにタイミングも良く
多分、父の状態が悪かったので
すぐに入院できることになりました。
入院してからは驚くことばかりでした

私のホスピスに対するイメージは一変し
結果、父の最期をホスピスで見とることができてとても良かったと思っています

ホスピスに移れば苦痛の緩和を中心に治療が行われます。
一般病院だと、病院を維持することが目的ではっきり言って無駄な検査をしますが、ホスピスでは無駄な検査はしません。
一般病院にいるより確実に安らかな死を迎えることができると思います。
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先日、伯母が急死
しました。
それも、突然に・・
その日のお昼は、食事をし元気にしていたそうです。
夕方、そこの息子さんがお母さんにおまんじゅうを買ってきて
食べていたところ、部屋をのぞくと
そこに伯母が倒れ、すでに心肺停止
していたそうです。
お昼~夕方まで元気だった方がその日の夜には他界している
本当に生と死は表裏一体だとつくづく思い知らされました

私は、一般の方とは違い日々人の死をまじかに見ているはずなのに・・
今回の出来事は、やはりかなりショック
な出来事でした
私も伯母と同じ年の母
がいます。
とても他人ごとの出来事ではありませんが
母は、伯母の亡くなり方については、あやかりたいと話していました。
急死したことは悲しく
辛い出来事ですが
長患いではなく、さっきまでおいしいおいしいと食事をし会話をしていた方が
ポックリと逝く。これは、シルバー世代の方が皆さん望んでいる亡くなり方のようです
私もやはりこういうお迎えであればいいのになあ。。と思います
これもやはり普段の行い?ということでしょうか

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それも、突然に・・
その日のお昼は、食事をし元気にしていたそうです。
夕方、そこの息子さんがお母さんにおまんじゅうを買ってきて
食べていたところ、部屋をのぞくと
そこに伯母が倒れ、すでに心肺停止

お昼~夕方まで元気だった方がその日の夜には他界している

本当に生と死は表裏一体だとつくづく思い知らされました


私は、一般の方とは違い日々人の死をまじかに見ているはずなのに・・
今回の出来事は、やはりかなりショック


私も伯母と同じ年の母

とても他人ごとの出来事ではありませんが
母は、伯母の亡くなり方については、あやかりたいと話していました。
急死したことは悲しく

長患いではなく、さっきまでおいしいおいしいと食事をし会話をしていた方が
ポックリと逝く。これは、シルバー世代の方が皆さん望んでいる亡くなり方のようです

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最近、あるお葬儀での挨拶に深く感銘を受け演奏をしながら涙が止まりませんでした
故人様の年齢は85歳 男性の方です。
奥様はご健在で、娘さんはお二人
娘さんと言っても60歳くらいの方ですが
とても品のある穏やかな方でした
普段の葬儀での親族ご挨拶といえば・・
やはり突然のことですから 司会者さんの代行であったり
ご挨拶されたとしても定番の文例をそのまま読まれる方がほとんどです
本当に故人様に対する思い出や想いを述べられる方は
まだ今の葬儀式の中ではそんなに多く見受けられません。
そんな中
今回は、いつもと同じ・・かなと予想もしていなかったので娘様の挨拶にがかなり心に響くものがあり
今思い出しても号泣してしまいます
何がそんなに私の心に響いたのかというと
とても穏やかに挨拶された口調
そして亡くなったお父様への思い出
お父様への感謝
お父様への想い
それぞれとても簡潔にまとめ話されていたことが
一度もお目にかかったことのない故人様に対して
私の心にとても深く感銘を受けました
話しの内容もとても素晴らしかったので公開したいのですが・・
やはり個人情報の部分になるのでくオープンできないのはとても残念です
挨拶・・はやはりとても大切
なことを改めて感じました。
ありきたりの式次第にするのではなく
何かそこに故人様に対するメッセージをお式に中にいれることは
とても良いことだと思っています

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故人様の年齢は85歳 男性の方です。
奥様はご健在で、娘さんはお二人
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やはり突然のことですから 司会者さんの代行であったり
ご挨拶されたとしても定番の文例をそのまま読まれる方がほとんどです

本当に故人様に対する思い出や想いを述べられる方は
まだ今の葬儀式の中ではそんなに多く見受けられません。
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今回は、いつもと同じ・・かなと予想もしていなかったので娘様の挨拶にがかなり心に響くものがあり
今思い出しても号泣してしまいます

何がそんなに私の心に響いたのかというと
とても穏やかに挨拶された口調
そして亡くなったお父様への思い出
お父様への感謝
お父様への想い
それぞれとても簡潔にまとめ話されていたことが
一度もお目にかかったことのない故人様に対して
私の心にとても深く感銘を受けました

話しの内容もとても素晴らしかったので公開したいのですが・・

やはり個人情報の部分になるのでくオープンできないのはとても残念です

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久しぶりの更新です。
甥っ子の死は、私の人生を少し前に進めてくれたキッカケになったように思います。
ちょうどそのころ、私は元旦那と別居をしていて離婚をする寸前でした。
これから一人でどうやって生きていこうか
と悩んでいた時期の出来事だったのです
甥っ子の葬儀・・これも今の私の原点だったように思います。
いろんなことで
亡き父と弟はぶつかっていました
葬儀はどんな規模で行うのか?
宗教はどうするのか?
費用はどうするのか?
考えなくてはいけないことが山のようにあったように思います。
当然のことながら弟夫婦は、亡くなった子供を仏様になった?とは思えなかったようで
天使になった
と思うしかない・・
今の私だったら知識も豊富になったので色々アドバイスもできたと思いますが
その当時は何の知識もなくアドバイスもできずただ見守るしかありませんでした
弟たちは、密葬(家族だけでおくりたい)希望
でしたしかし
結局父の意向だったように記憶していますが、一般葬儀(親族・遺族・会葬者あり)を行いました。
それも先祖代々の宗派を受け継ぎ・・
今なら無宗教・家族葬というのがあります。
本当に近い身内だけでゆっくりと最期の時間を過ごす・・
これも今の時代なら良い選択肢でもあると思います
でも、その時には想いも及びませんでした
宗教については色々な考え方があるので
ここでは語りませんが、
たった1年しかこの世にいなかった甥っ子が仏?さん?私も知識がない中すごく違和感を感じました。
戒名にお布施??ピンときませんでした。
唯一やはり私が協力できたのは
前日のお通夜~本番の葬儀会館で流す音楽BGMのことでした
その時もやはり、何の思い入れもない無機質な音楽が流れていたので
これだけは何とかしなくてはと思い、ちょうどこれはすごくいい感じもCDだとおもって
いた童謡のBGMでした。
亡くなった甥っ子の年齢を思うと選曲はこれしかありませんでした
その当時はまだ、まだ何も私の中に知識もないので
とにかくCDをリピートさせ音楽を切らない、止めないで良いバランス音量で
流し続けることでした。
でも、この選択は間違っていませんでした
音楽
の選曲だけでこんなに空気が変わるのか
その時に感じた葬儀での音楽の大切さ~それが父の葬儀へとつながっていきました

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甥っ子の葬儀・・これも今の私の原点だったように思います。
いろんなことで
亡き父と弟はぶつかっていました

葬儀はどんな規模で行うのか?
宗教はどうするのか?
費用はどうするのか?
考えなくてはいけないことが山のようにあったように思います。
当然のことながら弟夫婦は、亡くなった子供を仏様になった?とは思えなかったようで
天使になった

今の私だったら知識も豊富になったので色々アドバイスもできたと思いますが
その当時は何の知識もなくアドバイスもできずただ見守るしかありませんでした

弟たちは、密葬(家族だけでおくりたい)希望

結局父の意向だったように記憶していますが、一般葬儀(親族・遺族・会葬者あり)を行いました。
それも先祖代々の宗派を受け継ぎ・・
今なら無宗教・家族葬というのがあります。
本当に近い身内だけでゆっくりと最期の時間を過ごす・・
これも今の時代なら良い選択肢でもあると思います

でも、その時には想いも及びませんでした

宗教については色々な考え方があるので
ここでは語りませんが、
たった1年しかこの世にいなかった甥っ子が仏?さん?私も知識がない中すごく違和感を感じました。
戒名にお布施??ピンときませんでした。
唯一やはり私が協力できたのは
前日のお通夜~本番の葬儀会館で流す音楽BGMのことでした

その時もやはり、何の思い入れもない無機質な音楽が流れていたので
これだけは何とかしなくてはと思い、ちょうどこれはすごくいい感じもCDだとおもって
いた童謡のBGMでした。
亡くなった甥っ子の年齢を思うと選曲はこれしかありませんでした
その当時はまだ、まだ何も私の中に知識もないので
とにかくCDをリピートさせ音楽を切らない、止めないで良いバランス音量で
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でも、この選択は間違っていませんでした

音楽


その時に感じた葬儀での音楽の大切さ~それが父の葬儀へとつながっていきました


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彼の症状が悪化し、ICUに入ってから
1週間で彼は天国へ旅立ちました
その1週間の間、病院側は全力をつくし
1歳の子供にそこまではしないという処置、治療まで
行っていました
ただ私が忘れられないのは
彼の命が助からない・・とわかってからの
病院の対応に疑問を投げかけずにはいられませんでした。。
それは俗に言う延命治療
です。
助からないとわかっていてなぜ延命するのか??
それは、法律で定められていていったん延命治療を始めた治療に関しては
延命をし続ける・・続けなくていはいけないからです
弟夫婦は、子供がもう助からないのなら
早く治療を終え彼を自宅に連れて帰りたい。もう治療で苦しませたくない。
そう思うのは当たり前のことだと思います。
側で見ていて彼らの気持ちを思うととてもツライ気持ちになりました
その時の時間の経過の残酷さは今でも忘れられません。
私たち家族は、彼が死ぬのを待ち続けたのです

なのに病院側は、延命し続けました
ここの部分は、現在においても色々問題になっていますが
家族が延命は必要ないと言えば延命は止めるべきだと思います。
現在人は病院で亡くなる方が90パーセント以上
亡くなると、ご遺体を自宅へ連れ帰るには
乗用車では搬送できません。
ご遺体搬送用の特別に許可された車でないと
ご遺体は搬送できません。
甥っ子が息を引き取り、弟夫婦は一刻も早く家に連れて帰りたい。
抱きかかかえて連れて帰ること・・病院は暗黙の了解で許可しました
たった1年で人生を終えた甥っ子は、ここで命が終わることが運命だったのか?
私には、人生の無常さを感じずにはいられませんでした。
もしかしたらほんの少しの救いは
彼が物心を持たずに亡くなったこと・・ぐらいです。
ただ弟夫婦の気持ちを考えると言葉もありませんでした
その時にはこの非常な悲しみをどう乗り越えていくのか。
私にはその時には全くわかりませんでした
もし、私が義理の妹の立場だったら・・立ち直れただろうか・・
どう考えても無理
としか思えませんでした

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行っていました

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病院の対応に疑問を投げかけずにはいられませんでした。。

それは俗に言う延命治療

助からないとわかっていてなぜ延命するのか??

それは、法律で定められていていったん延命治療を始めた治療に関しては
延命をし続ける・・続けなくていはいけないからです

弟夫婦は、子供がもう助からないのなら
早く治療を終え彼を自宅に連れて帰りたい。もう治療で苦しませたくない。
そう思うのは当たり前のことだと思います。
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その時の時間の経過の残酷さは今でも忘れられません。
私たち家族は、彼が死ぬのを待ち続けたのです


なのに病院側は、延命し続けました

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